南へ

2月11日 船は激しく揺れる

Reykjavik --(バス)--> Thorlakshofn --(フェリー)--> Heymaey

今日からヴェストマンナエイヤールのヘイマエイに行く.今日の天気は最悪だ. 雪が降ってる.風も強い.結局自転車を持って行くことにしたので,YHから自 転車でBSIバスターミナルへと向かう.何度か風で倒されそうになったり,雪 の深い吹き溜りの中を押して歩かなければならなかったりする.

やっとバスターミナルに着き,切符を買う.ヘイマエイに行くにはますソウル スヘプンまでバスで行き,そこからフェリーで島へと渡る.この前までバスパ スで旅行していたので切符を買うというのは初体験だ.バスのところに行って 運転手に自転車を積んでくれるように頼む.床下のトランクに自転車は原型の まますんなりと収まった.日本でもこんな感じで運んでくれればいいのに.お まけにシーズンオフだったせいか,本当ならとられるはずの自転車運び代はと られなかった.こんなに簡単に運んでくれるならアクレリに行くときも持って 行けばよかった.

バスに乗ろうとすると,この前アクレリのYHで会ったドイツ人カップルのうち の男の人がいるではないか.あらま,こんなところで.改めて自己紹介する彼 の名前はトマス.僕がヘイマエイに行くことを決めたのはこのドイツ人のカッ プルの女の人に「是非行きなさい」といわれたから,当然と言えば当然なのだ がトマスもヘイマエイに行くところだった.旅先ではよくあることとは言え, こういうのはすごく楽しい.ヘイマエイでは一緒の宿に泊まることにする.

バスは定刻にレイキャビクを出発するが,天候は最悪.強風による地吹雪で前 がほとんど見えない.スピードもほとんど出ず,港に着くのが遅れるのが確実 になる.後で聞いた話ではこの日はレイキャビクの国際空港も閉鎖されていた らしい.それほどまでにひどい天気.

港には当然遅れて着いて,船に乗る人は急ぎなさいとせかされる.僕はトマス といっしょに切符を買って,自転車を押して車と一緒に船内に入り,船室へと 上がった.驚いたことに自転車の輸送費は無料だった.いい国だ,全く.

出港するなり船ははげしく揺れだした.やはりここは北大西洋なのか.天気が 悪いせいもあろうが,日本近海とは比べものにならないぐらい揺れる.3回生 のとき海洋実習で広島大学の豊潮丸に乗せてもらったことを思い出した.豊潮 丸なんかに比べればこっちの方がはるかに大きな船だし,揺れも少ないが,そ れでもかなり揺れる.トマスは船には慣れていないようで,最後にはトイレに 行ったきり帰って来なくなった.やっぱり船酔いっていうのは気持いいものじゃ ない.

ヘイマエイに着いてから,ライアンに勧められたArny Guet Houseを探して歩 く.港から20分ぐらい歩いた町外れの住宅地にそのゲストハウスはあった.外 から見ただけじゃどう見ても普通の家だよね,って感じの建物だった.ベルを 押すとオーナーらしいおばさんが出て来る.泊まりたいと言うと,ちょっと驚 いていたが,すぐに部屋に案内してくれた.アウルニーというのは彼女の名前 で,とてもいいおばさんだった.彼女は英語はほとんど喋れなかったけど,な んとかコミュニケーションをとろうとしてくれて,嬉しかった.ライアンが 「すごくいい宿」と言った理由がわかった.僕が片言のアイスランド語をしゃ べるととても嬉しそうだった.

夜,ご飯をまだ食べていないというと,アウルニーとその旦那さんが夕ご飯を 御馳走してくれるというので,ありがたく頂くことにした.白身の魚をカレ− のようなもので味付けをしたものと,ご飯だった.魚の名前はスクィッドシェ ルというものらしい.日本語ではどういうのかよくわからない.アウルニ−の 旦那さんは漁師のようで,その日とって来た魚みたい.日本人はどんな魚でも 買ってくれると言っていた.そう日本にかなりの魚を輸出しているアイスラン ドの中の一番大きな漁業の中心地がここヘイマエイである.

アウルニ−が南アフリカに行ったときのビデオを見せてくれた.アイスランド には絶対に来ない「強い日差しと暑い夏」が南アフリカにはある.家族でよく 旅行に行くみたいで,旦那さんとも世界中のあちこちの国の話をした.アウル ニ−は英語もあまりよく喋れないが,旦那さんはたいがいのヨ−ロッパの言葉 を喋れる.一番印象に残ってる話は,ノルウェ−を北から旅行してデンマ−ク まで行くととき,最初の北の方ではアイスランド語が通じて,だんだん南に行 くにしたがってデンマ−ク語を混ぜなければ通じなくなって行き,最後にデン マ−クにつくころには100%デンマ−ク語で喋らなければいけない,という話. 言葉ってそんなに連続しているものなのか.北欧の言葉がみんな似ているだけ なのか.

2月12日 南の島(?)の晴れの日

Heymaey島内(主に自転車)


最南端の岬の灯台の敷地への入口.

昨日とはうって変わっていい天気.風はまあまあ強かったけど,自転車には乗 れるくらいだった.とりあえず島の最南端の岬を目指してサイクリングはじめ る.空はとてもきれいな色をしていた.最南端の岬の直前で100upぐらいしな ければならなかった.路面は凍っていたけど,なんとか乗れた.自転車で走っ ていると周囲の人が真剣に驚いてくれる.自動車何台かとすれ違った.最南端 の岬に少し居たけど,人はほとんどいなかった.車でやってきてはすぐ帰って 行く人々はいたけど.海岸まで降りれるかなと思って道を探してみたが無駄だっ た.なんでないんだ.晴れているとは言え,すごくいい天気.

帰りに海の方とかあちこちぶらぶらしてから帰る.ところどころ路面が凍って たりして,12%の下り坂などはちょっと恐かったけど,どうせ車なんか来るは ずはないし,思い切って下れた.ああ,自転車持って来てよかった.いいねえ. 冬でも十分使えるじゃない.海を見ると天気はいいけど波は高い.島にくると こういうことってよくあるんだよね.漁師さんとか海の人はこういう日は天気 がいいとは言わないのだろうな.

ゲストハウスに寄ってお昼ご飯代わりにビスケットなど食べる.午後はちょこっ と島の北の方の尾根に登った.標高100mもないぐらいだろうが,急登だし,天 気はいいし,町全体が見渡せていい気分だった.尾根の向う側は荒波の北大西 洋だったが海からの風はとても強く,尾根に立っているのはかなり恐かった. 尾根から降りたあとはまたゲストハウスに戻って,近くのプールに行った.こ このプールにも当然のようにホットスポットがあって,温泉気分.

プールの後は町をしばらくぶらぶらして,夕ご飯を食べてから帰った.外食は やはり高くつく.ちょっとした料理でも600クローナとかとられる.まあ日本 でも同じくらいのレベルかもしれないが.

夜,トマスといろんなことを話す.彼が言っていたことで一番印象に残ってる のは原爆のこと.日本は原爆を落された国なのに,そのことは何とも思わない のか?って聞かれた.そりゃあ何とも思わないことはないけど,彼の考えとの 間に少しギャップを感じたのは確か.僕は広島と長崎に落された原爆は戦争末 期に日本を襲った各地の空襲とそれほど大差ないイメージでとらえていた.だっ て東京大空襲でだって同じくらいの数の人が死んでいる.陸上戦が行われた沖 縄なんてもっと多くの人が死んでいる.そんな中で原爆が核兵器だからってど んな意味があるのだろう.当然と言えば当然だがトマスは東京大空襲なんて知 りもしなかった.考えてみれば僕も第二次大戦のヨーロッパ戦に関してはほと んど知らない.

2月13日 南の島の火山と飛行場

Heymaey島内(主に自転車)

トマスは今日,帰ってしまう.朝,さよならを言う.もしかしたらレイキャビ クで会うことがあるかもしれないが,大都会だものさすがにそんなことはない よね.あんなに船は嫌だと言っていたが、結局また船で帰るみたい。

なんとなく飛行場に行ってみたかったので飛行場に行ってみた.ついでにレイ キャビクまでお金はどれくらいかかるのか聞いてみた.2065クロ−ネだって. そんな,船とバスを足したのより安いではないか.船が1500クロ−ネで,バス が700クロ−ネだった.そんな,絶対飛行機で帰ろうと思って明日の飛行機の 時間を確認しておいた.金額は聞き間違いじゃないかと思って何回も聞いたが, 確かに2065クロ−ネだと言っていた.

夜,アウルニーが通っている教会の集まりがあって,それに呼んでもらった. といっても場所はゲストハウスの居間.当然みんなアイスランド語で喋ってい るが、牧師さんが英語でいろいろと説明してくれた.今、二十歳ぐらいの若者 が洗礼の儀式を受けたときのビデオを見たりして、和やかで楽しい一時だった.

夜は嵐になったようで、すごい風が吹いていた.そして明日は飛行機は出るの だろうか、という感じだった.

2月14日 文明の利器って偉大だ

Heymaey --(飛行機)--> Reykjavik

今日はアウルニーが昼ご飯を御馳走してくれた.ご飯を食べながら飛行場に電 話して、今日のフライトスケジュールを確認してくれた.昨夜の嵐の影響で随 分乱れているみたい.

飛行場に着くと、乗ろうとした飛行機は出た後だった.夕方の飛行機まで随分 時間があったが、空港でひたすら読書をしていた.飛行機は10人乗りぐらいの 非常に小さな飛行機で、与圧する必要がないせいか、四角い断面をしていた. 自転車は無料で運んでくれるが、さすがに原型では入らず、前輪と後輪を外し た。自転車の運送が無料というのは本当にありがたい.飛行機は40分くらいで あっという間にレイキャビクに着いてしまった.国内線の空港は市街地にある ので、自転車を組み立てて、懐かしのYHまでナイトランをした.もうほとんど 自宅のような感覚だった.

YHに戻るといないはずのスティアンがいた.どうも天候が思わしくなく、出発を 延ばしているようだ.